皇后さまである雅子さまの妹さんによる書籍「アウシュビッツを一人で生き抜いた少年」(翻訳 池田礼子 トーマス・バーゲンソル)


 


子どもが真っ先に「価値なし」と選別され殺された2つのユダヤ人ゲットーで、ナチス強制収容所で、そしてアウシュビッツ死の行進で、たったひとりで、奇跡的に生き延びた10歳の少年がいた・・・。
チェコ生まれのユダヤ人である少年は、ナチスの台頭にともない家族でポーランドへ逃げたものの、捕らえられ、アウシュビッツで両親とも引き離されてしまう。最後まで諦めないことを教えてくれた両親の愛情といくつかの幸運、人々の助けによって生き抜いた日々……恨みや憎しみの感情を克服し、人権法の権威となった著者が、長らく家族にも語れなかった体験と、ホロコーストの場で問われる人間の勇気や倫理感を、子供の目でつづった感動の実話。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
子供が真っ先に「価値なし」と殺されたアウシュビッツで、奇跡的に生き延びた少年がいた。最後まで諦めないことを教えた両親の愛情と、助けを差し伸べた人々の勇気、そして幸運によってー。憎しみの感情を克服し、国際司法裁判所の判事まで務めた著者が綴る感動の記録。

【目次】(「BOOK」データベースより)
ルボフニャからポーランドへ/カトビツェ/キエルツェのゲットー/アウシュビッツアウシュビッツ死の行進/解放/ポーランド軍へ/オトフォツクからゲッティンゲンへ/新たな始まり/ゲッティンゲンの暮らし/アメリカへ/生き残って/第二の人生

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
バーゲンソール,トーマス(Buergenthal,Thomas)
1934年チェコスロバキア、ルボフニャ生まれ。ジョージ・ワシントン大学法科大学院教授。第2次世界大戦中、10歳でアウシュビッツ強制収容所に送られ、両親と離れ離れになるが、奇跡的に助かって解放される。父親は収容所内で死亡、母親とは終戦後に再会。親戚を頼って17歳で渡米。ウエスト・バージニア州ベサニー大学卒業後、ニューヨーク大学法科大学院にて法務博士、ハーバード大学法科大学院にて法学博士号取得(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

池田 礼子(いけだ れいこ、1966年〈昭和41年〉7月8日 - )は、国際公務員。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長・小和田恆の次女。皇后雅子の妹。出生名は小和田 礼子(おわだ れいこ)。

国際公務員として、国際連合児童基金UNICEF)駐日事務所副代表を務めた。


生誕 小和田 礼子(おわだ れいこ)
1966年7月8日(53歳)
スイスの旗 スイス・ジュネーヴ
洗礼 マドレーヌ
国籍 日本
出身校 慶應義塾大学法学部
ジュネーヴ大学