反日映画「靖国」文化庁助成金問題について

 左派市民団体が抗議を行った場合は「左翼団体」とは報道されないが、右派市民団体が抗議を行った場合は「右翼団体」と報道される。その主張が市民(一般人)によりなされている主張ではないと印象付けるためだ。この現象は、戦後マスコミが「左派」を正統派と考え、「右派」を異端として差別していることに起因する。

 このような差別的な呼称が、今回、問題となった映画「靖国〜YASUKUNI」に関する報道でも行われている。かつて「つくる会」の教科書が採択にかけられたとき、左派のひとたちが威圧的な抗議行動を行ったが「左翼団体の抗議」とは呼ばれずに「市民団体の抗議」と呼ばれた。今回、映画「靖国靖国〜YASUKUNI」について抗議をしている人たちには、いわゆる政治団体に所属しないで、雑誌などで映画のことを知った一般人が多かったと、製作側の人間が田原総一郎の番組で証言していた。にもかかわらず、マスコミは、「政治団体からしか抗議が無かったかのような報道をする。この映画「靖国〜YASUKUNI」に対する批判的感情は一般人にこそ広がっているのである。もちろん、右派市民団体も抗議をしただろうが、あいかわらずマスコミは「市民団体」とは呼ばずに「右翼団体」と呼称して、その主張が一般的ではないかのような印象操作を行うために必死だった。

 一般的に、マイクなどで抗議したりする活動は、左派のほうが活発に行っており、左派のスタイル(ヘルメット)に威圧を感じるひともいる。また左派のほうが暴力的な事件を起こしており、そのことから、右派よりも左派に恐怖心を感じる人も多い。にもかかわらず右派が抗議を行うと「威圧を行っている」とマスコミは言う。
 それだったら、こういうことがいえるだろう。「8月15日に靖国神社周辺で、ヘルメットで武装して演説活動をしている左翼団体(マスコミがいうには市民団体)は靖国神社を参拝している人たちを威圧している」と。にもかかわらず、マスコミは、左翼団体(市民団体)の行動は「威圧」とは表現せずに、ヘルメットを着用していない右派を威圧的と決め付ける。街宣車は「威圧」と決め付ける一方で、左派市民団体の「粉砕」「断固阻止」「革命」などの文字は「威圧」とはマスコミは表現しない。

 今回の件で、マスコミは「表現の自由」を侵害していると主張する。そして、映画を見ていないのに、批判する権利があるのか?と、批判している右派を「批判する資格が無い」と決め付ける。じゃあこういう場合はどうだろうか?
 ヒトラーを批判しているユダヤ人が、全員、彼の著書「わが闘争」を読んでいるといえるだろうか?「わが闘争」を読んでいないと、その書籍を批判する権利は無いのだろうか? もっと言えば「つくる会」の教科書を批判していた左派団体は、全員が「つくる会」の教科書を読了しているのだろうか? レーガン元大統領は、共産主義の危険性を指摘して、ソビエト連邦を批判したが、ソビエトを批判するには「資本論」を全部読まないと批判する資格は無いということだろうか? そういった論法が通用するならば、「靖国神社に来たことが無いならば、靖国神社を批判する資格が無い」と左派に言えないだろうか? ブッシュ大統領所信表明演説を全文読んでいない人は、ブッシュ大統領の政策を少しも批判する権利は無いのだろうか?

 そして、マスコミは「つくる会」の教科書や「嫌韓流」や「戦争論」をニュースで報道するときに、これらの右派の刊行した書籍を「まずは、読んでから批判して欲しいですね」とコメントしただろうか?

 左派の政治宣伝を批判する際には「まず、読んで、鑑賞してから批判せよ」という。しかし、右派の政治宣伝を批判する際には「まず、読みなさい」とは言わない。これは、マスコミが右派の言論を差別的に蔑視して扱っていることの明らかな証拠である。

 私の見解であれば、その作品に関する概略がわかった時点で、その作品に関する感情を持つことが出来る。それで十分であろうと思う。

 もし、特定の新興宗教を批判することに関して、その特定の新興宗教に入信しないと批判できないのだろうか? とある宗教団体は「***のことをよく知らないで、よく批判ができるね?」とか、やってみないとわからないといって、とりあえず入信することを批判の前提条件として強要したりする。
 それだと、カトリックの信者はプロテスタントに入信しないとプロテスタントを批判できないということになるし、プロテスタントの信者はカトリックに入信しないとカトリックを批判できないということになる。 日本共産党に入党しないかぎり、日本共産党が批判できないということになる。 

 この映画「靖国」の李監督は、靖国神社について断片的な知識を持っているだけにすぎず、その不十分な知識に基づいて、批判映画を作製している。靖国神社は、この映画に事実誤認の箇所があるとして、不許可で撮影された映像の削除を求める通知書を製作者に出している。むしろ「知識がないなら批判するべきではない」という指摘は李監督にこそあてはまる。李監督自身は、不十分な知識で映画「靖国」を批判していながら、彼の作品を批判する者に対しては、「あなたには批判する権利が無い。なぜなら私の作品を全部見ていないからだ」として、批判に対する門前払いを食らわせてシャットアウトしている。言論を封殺しているのは李監督自身だろう。

 こういった批判(見ていないのに批判するのか?との批判)も出ることを想定して、自民党稲田朋美議員が、映画を見たいと思ったのは至極当然のことだと思う。

 そもそも、出版前に、事前に確認が行われるということはいろんな場面で頻繁にある。
 2004年3月17日に発売される予定の「週刊文春」が、田中真紀子衆議院議員の長女に関する記事を書いたところ、それを事前に知った田中真紀子氏が裁判所を通じて出版差し止めを実現したということがあった。
 問題がある作品について、事前に閲覧して、それになんらかの対応をするということは法的に保証された行為である。しかも今回は、映画供給会社の同意のうえで行われている。
 このは田中真紀子氏の件については、マスコミは、今回の件ほどには大きくは騒いでいない。この違いは、その作品の内容にあると思う。つまり、マスコミは、左翼的な映画が事前検閲されたことに怒りを感じているのである。
 
 もし、このケースを逆にしてみよう。つまり、右派が映画を製作しようとする際に文化庁に助成を申請したとする。(文化庁の審査委員には、9条の会のメンバーなど左派の政治活動をしている者がいるので、右派の映画は審査に合格させないだろうが)そして、無事に、助成金を得て、たとえば大東亜戦争の正当性(自衛戦争そしての側面)を訴える映画を作ったとする。しかも、出演者の中国人老人には「中国の抗日戦争をたたえる映画をつくりますよ」とウソをついて出演させたとする。そして、それを知った左派議員(社民党福島瑞穂辻元清美など)が、「文化庁は政治的な映画には助成金を出すべきではない」と主張して、事前に映画の内容を確認して、助成について問題にしたとする。そして、それに応じて左派団体(マスコミのいう市民団体)が映画館に抗議をしたとする。
 そのような場合に、マスコミ(日本の反日マスコミ)は、「じゃあ、ここで悪いのは、議員でしょうか?文化庁でしょうか?それとも映画館でしょうか?」という報道をするだろうか?絶対にしないと思う。むしろ、「日本の反動勢力をつぶした英雄」として好意的に左翼議員らを取り上げるはずである。

 マスコミが「表現の自由を侵害している」として論点を摩り替えていることに関して、稲田朋美議員は「わたしが求めているのは、助成金の是非であり、映画が上映されることに関しては問題にしていない」と防戦している。

 私は、今回の件に関して、稲田氏を支持するが、上記の論点では、同意できない。

 なぜなら、この映画の事件の本質は、だまされて出演させられた人たちや、無断で撮影された人たちが、多数、映画監督や映画制作会社の興行利益のために利用されているからである。
 この刀匠は、「日本刀に関する技術的な記録映画」と説明されて、騙されて出演させられて、映像を使用されている。
 もし仮に、筑紫哲也に「護憲運動に使用します」といってインタビューに応じさせて、アダルトビデオに、彼の映像を使用したら、筑紫はどういう反応をするだろうか?この李監督の捏造映画(靖国の「神体」について明白に違う主張をしている)は、被害者が居ないアダルトビデオより悪質であることが明白なので、この刀匠の心労は、もっと凄まじいものだろう。
 次に、撮影許可を得ていない靖国神社の映像が無断で使用されていること。これについては、靖国神社も声明文を出している。
 http://www.yasukuni.or.jp/img/1207900481.pdf

 これらの事実を考えると、民事的には「肖像権侵害」になるので、民事的な賠償請求の対象になる。

 次に、靖国神社の業務にダメージを与えているので、刑法(233条 威力業務妨害・234条 偽計業務妨害罪)にも抵触する。したがって刑事事件としても処理されるべき事件である。

 稲田氏は「映画の上映には反対しない」と主張している。しかし、私は、この映画の上映に伴って「被害者(騙して撮影をされた刀匠、靖国神社)」が存在するので、上映されるべきではない。と断言する。

 著作権侵害を防止するために、出版差し止めが裁判所によって行われている事例もある

最高裁判所のHPより
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/225C36A3B676A07949256B7D0002B33F.pdf

 当該事件も肖像権侵害が中核の事件なので、差し止めは行われるべきであろうと思う。

 上記の「出版差し止め」と同様に、裁判所で事前に対処されるべき問題である。しかし、それには、被害者(刀匠、靖国神社)が行動しないと意味が無い。

 この中国人監督は、この映画の製作過程の違法性を知っているので、差し止め処分になって、興行的利益を得る機会を逃したくないと思っている。だからこそ「検閲」と主張して、「差し止め」されることを必死で回避しようとしている。

 しかしながら一度上映されてしまうと、被害者(騙された出演者)が被る被害は回復不能になるので、私は、上映はされるべきではないと主張する。

 近年、おニャン子クラブのDVDがポニーキャニオンから発売されているが、ある1名のメンバー(永田ルリ子)の顔だけは写っていない。なぜなら、彼女が肖像権を理由に出演拒否をしているからである。このように20年前に出演を承諾した番組であっても、再放送やDVD化でも、肖像権は守られている。これは道徳的な配慮ではなく、違法になるのを回避するためである。

 したがって李監督が行った行為(騙して出演させた行為)は、明瞭に「違法」である。

 靖国神社で老兵を殴った中国人は起訴されず釈放となったが、日本国内では中国人による違法行為は、政治が絡めば無罪放免になるべきなのか?
 
 反日メディアの反日キャスター(田原総一郎)は「上映するべきだ」と主張するが、被害者(刀匠)については、どのように考えているのか?