田口圭の日記(企業と経済:商法会社法etc の学習会)

時事問題 政治問題 ネットニュースなどを取り上げます。

★田口圭の都議選予定候補者時代(2007年頃)★しばき隊(文中で指摘されているのは野間易通”氏”)についていけなくなった清義明”氏”(たしかサッカー関連団体の役員を”しばき隊”がらみの事件で辞任した人の野間易通”氏”批判)

しばき隊(文中で指摘されているのは野間易通”氏”)についていけなくなった清義明”氏”(たしかサッカー関連団体の役員を”しばき隊”がらみの事件で辞任した人の野間易通”氏”批判

清義明”氏”による「C.R.A.C.(野間易通”氏”)」批判とも読めるかもしれませんが
むしろ清義明”氏”による「しばき隊」への「総括」と解釈しました。

ちなみに、野間易通”氏”の運動体は、在日朝鮮韓国人たち(朝鮮総連凛七星氏、韓国民団系金展克弁理士など)を排除して、だれのための運動体かわからなくなっているそうです。

注釈文責:田口圭 青色部分が【田口圭による注釈】と御理解ください。


余白

「しばき隊」とはなんだったのか -21世紀のダーティー・ハリーの栄光と没落 (3/3)

blogos.com

「しばき隊」とはなんだったのか -21世紀のダーティー・ハリーの栄光と没落 (3/3)


引用開始
「しばき隊」とはなんだったのか 

2015年12月09日 08:08  記事 清 義明 (by田口圭 注釈← リンク先では肩書がフリーライターになっておりますが、いつから?元しばき隊の肩書のほうがしっくりきますね。
https://blogos.com/article/148887/?p=3
「しばき隊」とはなんだったのか 
-21世紀のダーティー・ハリーの栄光と没落 3/3

「新大久保の戦い」としばき隊の功罪

しばき隊がこの「お散歩」を阻止したのは、実はそんなに多くない。最初にこれを察知されて、しばき隊に取り囲まれてからすぐに彼ら(by注釈 田口圭 いはゆる行動保守のこと)は慎重になったからだ。だが、この後もデモの帰りに在特会とフォロワーがやってくるのを捕捉しては罵声を浴びせていた。
デモの前後に街の要所に索敵の要因by田口圭 うーん「要員」では?)を置き、これを一人ずつ取り囲み、罵声をもって退散させていた。これが暴力沙汰になる寸前になることもあれば、その在特会フォロワー(by田口圭 支持者のこと)を呑みにつれだして、そこで語り合うということすらもあったのだ。
注釈by田口圭いやしばき隊と飲んでいた羅痢子←何者?とか最悪だろ羅痢子(本名自粛)が関与している限り、どんな団体も信用できんわ

せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』:自称愛国バンド「桜乱舞流」としばき隊

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せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』:自称愛国バンド「桜乱舞流」としばき隊


しばき隊「羅痢子(なにがソロモン諸島キラキラだ!?)」をいまだ容認している西いちこ(北海道)、「なにかといえば故人:野村秋介氏の名前を出すことで知られる」渡辺なにがし(共に北海道のはず)も同罪とくに渡辺はヤクザ(博徒)でも民族派右翼でもない凡庸な社会人なのに何を偉そうに「右翼民族派」気取りをしているのかね?青色は田口圭の注釈


清義明”氏”の文章に戻ります

私は今でも野間(←←清義明”氏”の記載で呼び捨て)のやったことは非常にクレーバーだったと思う。かつ、非常に勇気あるだけではなく、メルクマーク的に画期的な方法とも考える。

しばき隊が画期的だったのは、これまで怖い存在で立ち向かうすべがないと思われていた「排外主義の右翼集団」のイメージを根底から覆したところだった。。彼ら(by田口圭 行動保守活動家たちを指していると思われる)はいかに「しばき隊」が暴力的かということで、彼らが「襲撃された」という動画をユーチューブにアップするのだが、そこに映し出されているのは、あれだけ差別的な殺戮や暴力を扇動していた集団も、しばき隊がやってくるととたんに警察の助けを呼ぶ姿だった。これは、これまで声をあげることもできなかった人達に勇気を与えることになった。(田口圭 注釈 不良の喧嘩は警察を呼んだほうが「負け」です

「排外主義者の右翼」(厳密にいうと彼らは右翼ですらないのだが) と直接的に渡り合うということは、当時だと考えられないことだったのだ。(by田口圭 たしかに行動保守は右翼ではないね

「右翼」というのは、つなぎの戦闘服に身を包んだほとんど暴力団と同類と普通の人は考える。(by田口圭 いや「ヤクザ~博徒~」と「右翼」は違うでしょう

ところが、実際は違っていた。彼らはもともとネットの住人だったのだからムリもないだろう。とてもでないが、腕っぷしという観点からすれば全く戦力にはならないような人達が、この「右翼」の大半だったのだ。

しばき隊の本当の功績は、この在特会とそのフォロワー(by田口圭 くどいようですが清義明は支持者のことを「フォロワー」と当該文中でカタカナ表記している)と直接対峙することを選んだことである。それにより、今まで街頭で彼らに抗議することができなかった良識ある非暴力の穏健派の人達を大挙として、これに対峙させるきっかけをつくったことである。これにより抗議の声で彼らのデモはほとんど正常に行うことが出来なくなっていった

どこの集団にも属さない人達がそれに輪をかけて、在特会とフォロワーたちのデモになると「カウンター」に集まるようになっていった。おそらく最盛期には、多くて300人程度のデモに対して、その数倍1千人を超えるくらいのカウンターが集まっていった。デモによって、ある意味騒乱状態になった新大久保には、機動隊の護送車が何十台も並んで、機動隊は数百名が配置されるようになった。

マスコミもこれを報じ始めた。これまで、在特会やフォロワーの活動は一部に認知されてはいたが、これを報道することは少なかった。ひとつには、メディアがこれを報じると逆にデモ側の主張を拡散してしまうということもあるのだろうが、おおよそはこのデモとそれに付帯する差別扇動に今一つ問題意識を持てなかったのだろう。だが、すでにそういう段階は超えているということを、デモに対する抗議活動が行われているという切り口で報道しだしたのだ。これによって多くの人達がいかにこの差別主義の集団が酷いことをやっているかということを理解することが出来たと思う。「ヘイトスピーチ」という言葉が、世間に広がりだしたのもここからである。そして社会的に「在特会」とはなんなのか、という注視があつまり、やがてそれに批判が集まるようになっていった。保守的な人達からも彼らへの非難が集まった新大久保が週ごとにデモと、それに反対する「カウンター」によって騒乱状態になっていったなかで、国会では安倍首相がこれらのデモについての質問に「一部の国、民族を排除する言動があるのは極めて残念なことだ」と答弁した。(田口圭注釈 安倍晋三総裁は常に【安全圏から】しか発言しない


野間が投じた一石が、大きなうねりとなって日本社会に影響を及ぼし始めたのだ。
在特会の敗北と憎悪の行く末 「C.R.A.C」(クラック)

リンク先を見る
しかし、この流れはしばき隊がきっかけをつくったものであるが、実際にこの流れを決定づけたのは、多くの差別に対して抗議の声をあげ、新大久保の路上以外でも在特会やそのフォロワー(注釈by田口圭 清義明は支持者をフォロワーと呼ぶ)に対する批判を行ってきた良識ある一般の人達の力が大きかったはずだ。
 黒澤明の『七人の侍』のラストシーンにならえば、「我々が勝ったのではない、農民が勝ったんだ」 というところだろう。

(映画的な余談だが、クリント・イーストウッドの映画デビュー作の『荒野の用心棒』は黒澤明の『用心棒』のリメイクであり、その『用心棒』も『七人の侍』も「自警主義」の物語である)

法からも行政からも守られない弱い者のために立ち上がった自警団というのが、最初のしばき隊のコンセプトだと書いた。

憎悪をもとにした力には、こちらも憎悪で返答する
まさにダーティー・ハリーの思想である。

だが、これはすぐに在特会としばき隊は「どっちもどっち」という視点で批判されることになる。確かに、法の許される範囲で(そうか?by田口圭)相手を打ちのめすために罵詈雑言をつくすという意味では似たようなものだったからだ(たしかに by田口圭)。

仮にそれが差別的な思想をもつ人間であったとしても、路上で集団で取り囲んで罵声を浴びせるなどということは暴力に過ぎない・・・憎悪に憎悪をぶつけているだけで、単に正義が暴走しているだけである・・・これが当時のしばき隊に対しての批判である。自分はもっともなことだと思う。だが、それがもっともだということは、当のしばき隊が一番知っていることである。野間は完全に確信犯であった。

【再度注意】青色文字は基本的に田口圭の注釈です【再度注意】

憎悪の連鎖は何も生み出さない」と書かれたカウンター側の横断幕に、野間は言った。これは俺たちの思想ではない、と。

だから野間の方法に対して批判的なものもいた。

しばき隊のように差別主義者を取り囲んで罵声を浴びせるというのではなく、あくまでも平和的にデモに反対していこうという流れもできてきた。彼らは「仲良くしようぜ」というプラカードをネット印刷でプリントしてデモに対峙した。また、デモが始まる前に街でチラシを配布して、そのデモの意味とそれに対する批判を周知する人達も出てきた。これらは野間の思想を半分受け入れ、半分はそれは違うのではないか、またはそれだけではダメなのではないか、という考えから出てきた人達である。

このうねりそのものが様々な拡散の仕方をしていった。

この包囲網により、在特会が新大久保で勢いを失い、さらにはこの街から様々な事情で撤退せざるを得なくなった。憎悪によって求心力を得ることが必要な在特会は、数々の裁判での敗訴大阪市の橋下市長との怒鳴りあいの「対話」などによって、再び大きく報じられようになった。
が、もうその頃には一時期の勢いは完全になくなっていた

そもそも歌舞伎町~新大久保界隈を生業とする博徒のみなさんや、その周辺にとって警察職員が大量動員される当該デモがどのように写っていたのかは容易に想像できるはず。by田口圭。
田口圭が新宿区東新宿一帯の声を代弁して都議選立候補(新宿区選挙区)に押されて、風俗雑誌マンゾク(いまは廃刊)や歌舞伎町ロフトプラスワンに取材に呼ばれていたのは2007年~2008年頃ですね。都議会議員選挙には田口圭は立候補せず、実際に立候補したのは、自民党秋田一郎氏(都議落選再チャレンジで都議に)、自民党吉住健一氏(都議当選現在の新宿区長)になります。
ちなみに新宿区都議会議員選挙には塚原宏司元東京都議会議員(新宿区)という住吉会系組長の息子が親(も新宿区議会議員)の地盤を活用して当選しており、参議院議員選挙に進出予定でした。まぁ時代が違いますね。あんな条例ができちゃった現在では塚原一族の公認自民党でも躊躇(ちゅうちょ)するかもしれませんね。
ちなみに塚原都議(区内から多摩まで権力を有する塚原一族)を逮捕したのは、
東京都を管轄する警視庁でも東京地検でもなく、さいたま地検でしたね
塚原一族の手の届かないさいたま地検が塚原都議をやったわけですねしたがい、自民党内田茂元都議の「微罪逮捕」を東京地検東京地検特捜部懇願していた連中「お花畑」の世間知らずかと。もちろん常時忙しい検察は別の用事で多忙かと思います。】

【参考】田口圭阿形充規先生大日本朱光会)と共に呼ばれた集会。
2008年7月 01(火)

「歌舞伎町規制に反対する集会」 – LOFT PROJECT SCHEDULE

www.loft-prj.co.jp 2008年7月 01(火)
石原都知事が行っている「歌舞伎町浄化作戦」。
水商売、風俗産業への経済的打撃など、その負の面に光を当てる。
【出演】田口圭(コラムニスト)、阿形充規大日本朱光会)、昼間たかし(ジャーナリスト)、深笛義也(ライター)、草加大介(ナンパ塾塾長)、
他 Open 18:30 / Start 19:30 ¥1500(飲食別) 当日券のみ

某芸能事務所の社長の提案で行ったイベントです。
深笛義也氏は【週刊新潮】で【黒い報告書】という連載を持っている方ですね。

「歌舞伎町規制に反対する集会」 – LOFT PROJECT SCHEDULE


清義明”氏”の文章に戻ります

そして、前述のしばき隊のコンセプトをさらに過激にしたといえる集団のひとつ「男組」と何度もトラブルをおこし、双方の逮捕されることが何度もおき、そして最後には在特会とフォロワーによる集団暴行事件注釈:田口圭 山口祐二郎が集団暴行を受けた骨折した刑事事件かな?)があり、これにより在特会の会長は追い詰められ、そして会を離れざるをえなくなった。

しばき隊の活動は最初から最後まで賛否両論であった。だが、在特会を反社会的な勢力として認知させ、その運動の跋扈を止めたきっかけが、この野間としばき隊にあることは誰もが認めることであろう。そして、ダーティー・ハリーのように、ここで彼らはバッジを捨てるべきだった。

「新大久保の戦い」が、いったんは在特会とそのフォロワーの撤収により、しばき隊はそのできる限り少人数でギリギリの非暴力で差別的デモの参加者に対する圧力とその周辺のヘイトクライムを阻止するという任務が必要なくなっていった

そこで、しばき隊を解散し、これまでの少数主義でゲリラ的に展開するというスタイルから、より広く人々を結集して、反レイシズムの運動にしていくという集団に衣替えすることになった。
これが「C.R.A.C.」(クラック)である。言論やカルチャーを通じて、この反差別の運動を推進するということだ。

在特会は勢いを失ったが、まだ差別は根絶されているわけではない。ネットから出てきた在特会を現実社会の路上からネットに押し戻したというのが本当のところで、まだ戦いは終わっていないということだ。実際そうだろう。

しかし、そこには憎悪には憎悪で対抗するというポリシーが依然として残っていた。

野間のクラックのみならず、野間に影響を受けたフォロワー(by田口圭 フォロワー=支持者のこと)の反差別急進派では、野間がやり始めた「罵倒」が一般化していた。これに眉を顰め、中には公然とそのやり方を批判する人もいた。

これでは、どっちがヘイトスピーチかわからないというわけである。

ところが、野間はこれを(田口圭 注釈:過激すぎるとの批判を)退けた。理屈はこれは言葉の定義として「ヘイトスピーチ」ではない。ヘイトスピーチというのは、人種・民族のような逃れられない属性に対して誹謗中傷をすることである。レイシストに対する「罵倒」は、それに当たらないというわけである。確かに言葉の定義としてはもっともである。(注釈 田口圭 だとしても野間易通”氏”は世間に与える印象を考えるべきじゃないのか

ヘイトスピーチ」という言葉を誰が最初に、在特会の差別活動を指し示すために使ったのかは定かではない。
ただし、欧米では特に普通に差別発言を当たり前に指し示す言葉である。あわせて「ヘイトクライム」という言葉もある。こちらは差別的動機から出てきた犯罪のことを指す。

在特会を罵るやり方があまりにも下劣で品がないということで「ヘイトスピーチ」だという理解もある。これは言葉の定義として間違っている。

ちょうど、呑みの場で知り合いの女のコにちょっかいを出して、それが「セクハラ」だといわれるのと似ているセクシャルハラスメントとは、雇用関係などによる組織の中で、その地位などを濫用して性的な嫌がらせをすることである。だから、職場などでの組織の中での性的な嫌がらせ行為以外は「セクハラ」ではない。それは単なるハレンチ行為とかわいせつな行為ということである。(田口圭 注釈 この比喩は秀逸では?

もちろん、職場の部下同僚でなければ、呑みの場のハレンチ行為が許されるという話でもない。(田口圭 注釈 この指摘も秀逸

これは「ヘイトスピーチ」を巡る定義の議論にも当てはまる。

だが、仮にそれがヘイトスピーチではなくとも、品のない「罵詈雑言」であることには変わらない。それを聞いたときに、三者がどのように思うかヘイトスピーチの言葉の定義とは全く別の話だ。
自分自身もクチは悪いほうであるし、普段からバカだのアホだの人に対して言っている人間でも、これが政治的な話となるとこれまた別である。

次の章へby田口圭

怒りのマーケティング」とダーティー・ハリー症候群

だが、これを「怒りのマーケティング」と呼ぶものもいた。怒りはエネルギーである。これを遡及させていくとより大きな「大衆運動」になるという意見である。古典的な「大衆運動」理論だが、果たしてこれが正解なのかどうかわからない。自分はたいへん懐疑的である。結局社会運動というのは、一般市民の支持を得なければいかようにもならない。一般の人達が、例え「レイシスト」だからといって、罵詈雑言にどのような反応があるのだろうか。ネットでは罵詈雑言が飛び交っているが、これがリアルの社会に出てくると、やはり人は引くだろう。(注釈 田口圭 まぁ「引く」というより「呆れる」が正しい

小学校では、人を罵るような言葉は使ってはいけませんと先生が教えている。自分はクチの悪いタイプであるため、全く人のことは言えないのだが、これが社会運動となると敵を増やしてしまうマイナス面はやはり考えなければならない。これは、数多くの野間から距離を置くカウンターの人達が批判していたことだ。(田口圭 注釈 清義明”氏” は野間易通”氏”を反省材料としているためか、常に野間易通と呼び捨てであるが、文面上仕方ないでしょう。

だが、憎悪には憎悪で対抗することによって求心力を得るというやり方も確かにあるのだ。それを「怒りのマーケティング」と呼んでいた。
 憎悪には憎悪で対抗する、それ以外に止めることはできないというポリシーが、しばき隊の自警主義の核心にあったからだ。クラックは、これをそっくり引き継ぎ、さらにはフォロワー(要は野間易通支持者のこと 注釈 田口圭)はこれ(罵詈雑言主義のこと 注釈 田口圭)を無批判に継承した。

 【要は野間易通の運動方針”罵詈雑言主義”を野間易通信者達がそのまま継承したと清義明”氏”はイイたい

「ダーティー・ハリー症候群」(Dirty Harry syndrome)という言葉がある。正義を追及するあまりに、その行使に見境いがつかなくなり、時として暴走してしまう精神状態を指す。

別に映画を持ち出さなくてもよい。古今東西「正義」の名のもとにどれだけの「悪」が行われてきたことか。正義は簡単に悪に転じる。それが悪に転じることがなく、おおよその正義の範疇にあったとしても、それは人々の支持を失うこともある。ダーティー・ハリーがあれだけ熱狂的な支持を受けたのか。それは最後にバッジを投げ捨てて、自分で自分の責任をとったからだ。(←いいこというねby田口圭
 正義を為すものは、その正義の代償を払わなければ人々に支持されることはない

リンク先を見る 映画『ダーティー・ハリー』は、その後に続編が次々とつくられた。だが、正直、ほとんどが駄作と切り捨ててしまって良い出来である。

パート2では、ダーティー・ハリーに影響をうけた「正義の警察官達」が現れる。法の及ばない悪党は殺していく・・・ほとんどハリー刑事と変わらない倫理観の持ち主たちは最後にハリーに悪党扱いされて殺される。パート3では、今度は「人民のため」という正義をあげる過激派との戦いだ。

第一作で正義の暴走という批評を受けたことからだろうか、今度はその「正義」に対峙するハリー刑事となる。だが、よくよく考えてみると、「正義」を処罰するのは、ハリー・キャラハンのキャラクターにのみ甘えた、「だいたいの正義」である。ようするにやっていることは変わらない。だが、ハリー刑事は今度は自らの責任をとりバッジを捨て去ることはない。

本稿は、映画批評でもないので割愛するが、それ以降の作品はほとんど自分自身の役柄のモノマネでもしているかのようなクリント・イーストウッド醜態が展開されるだけだ。

現在のクラックとそのフォロワーは、ダーティー・ハリー症候群に冒された、つまらない続編にすぎない。

在特会をほとんど壊滅させた戦いの「追撃戦」はその方法ではダメなのだ。だが、彼らは「怒りのマーケティング」を続ける。たぶん、これは日本社会では受け入れられないだろう。私達は、怒りが思想に転嫁したとき、その思想が怒りの対象そのものよりも遥かに危険な存在になるということを、まざまざと見せつけられたことがあるのだ。(注釈by田口圭 これって、あのしばき隊「経験者」だから「こそ」出来る指摘では?


クラックの追撃戦 -「3・11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ」の実態

この追撃戦が、野間易通界隈と「憎悪のマーケティング」が続くなら、うまくいかないだろうという理由はもうひとつある。

この集団が事実上、野間易通の個人集団になっていたところだ(注釈by田口圭 まったくそのとおり)。
 しばき隊の小回りが利く少人数の集団というコンセプトにそれはフィットしていたかもしれない。
 だが、ここから先、特定の集団ではなく世論を動かすということであれば全く別の話である。

実際、この集団の意思決定は現在に至るまで一人で行われている。(←ひとり(一人)=野間易通 注釈by田口圭)そういう意味で民主的でもなんでもない家父長制の零細企業のような体裁が実情である。それは新大久保の戦いでは、それなりにうまくコントロールされていた。
だが、そういう話ではもうないだろう

戦線も広げすぎている。

「あざらし隊」という人達がいる。国会前の反安保法制のデモで出てきた人達である。あれは完全にしばき隊の流れを組むクラックである。

ここから個人的な話も混じる。当初、自分はしばき隊にもいたし、クラックにも所属していた。それなりに主要なメンバーの1人だったと思う。ところが、ある日突然、その頃に盛り上がりの兆しを見せていた国会前の特定秘密保護法案へのデモクラックとして参加するという話が、TWITTERでクラックのアカウントから当たり前のように出てきた。

 自分は驚いた。クラックの名称は「反レイシズム行動集団」(Counter-Racist Action Collective)であるように、反差別を行う運動体ではなかったのか


野間の独断である。
自分は組織が個人商店としての体裁で、嫌ならやめればいいというようなノリになっていることを理解していたため、野間の判断力をそれなりに尊重していて、それまでの大抵の決定は尊重していたつもりである。
だが、こればかりは話は違う。そもそも自分は特定秘密保護法に条件付で賛成の立場であったし、それよりも、レイシズムで集めた集団を、全く違う政治活動をすることに理屈的におかしいと思ったからだ。(注釈by田口圭 清義明のいうとおり

基地の街で生まれたわたしは、安全保障に関する議論世論by田口圭 要は朝日新聞あたりの報道論調)がいつもかけ離れていることを人より知っているつもりだったこともある。
物心ついたときから、反戦」をあげる見知らぬ無表情な人達by田口圭 清義明よくいった)がデモをするのを見てきていたし、それが社会から必ずしも理解されていないby田口圭 清義明よくいった)ということも知っていた。「左翼がまた騒いでいる」(by田口圭 清義明よくいった)・・・これが自分や基地の街の人間の大方の反応なのではないかとも思う。
だからといって、左派的な反戦安全保障論に必ずしも反対しているわけではない。
問題は、そのスタイルが不毛by田口圭 清義明よくいった)であり、世論と隔絶by田口圭 清義明よくいった)し、むしろそこからかい離する(by田口圭 清義明よくいった)原因となっているのではないかということを、子供の頃から懐疑させられていたのだ。ただし、これは個人的な考えの話だ。どちらかというと、レイシズムのリソースを使って、全く別のイシューを持ち出すことに納得いかなかった(by田口圭 清義明よくいった)。さらにこれが独断で行われていることにも(by田口圭 清義明よくいった)。

これによってクラックを外れることになったわけだが、この後にしばき隊時代にいた右派が少しずつクラックを抜けていくことになった(by田口圭 個人団体主催の山口祐二郎”氏”は右翼民族派と呼べるのでしょうか?)。
様々な原因はあるのだが、やはりこれは、反レイシズム「大衆蜂起」のリソースを、違うところに転用しようとした流れだと、後からなって薄々と理解できるようになった。もともと左派色が強いのは承知のうえだった(by田口圭 注釈 たしかBCXXXとかいうのが、C.R.A.C. 内の自称右翼をTwitter突如として攻撃をし始めていましたね。たしかBCXXXは親が日本共産党地方議員だったかと。)

日本共産党 生駒市議会議員 竹内ひろみ

竹内ひろみ(奈良県・生駒市)│議員│日本共産党中央委員会

www.jcp.or.jp

竹内ひろみ(奈良県・生駒市)│議員│日本共産党中央委員会


BCXXX”氏” = 竹内真”氏”【バスキュール社 勤務】
公人:市議会議員の血族で、BCXXX”氏”本人も公然活動家なので社会的利益(公益)のため「実名表記」します。
もちろんBCXXXで実名が出てくるので「周知の事実」に該当しますが。

 が、ここまで露骨であると、自分もかえって狐につままれたような思いである。今のクラックは完全な左派といってよい。自分はこれが反レイシズム運動に直接的にプラスになるとはとても思えない。(by田口圭 まぁ薬害エイズ被害弁護団を支援していたら、いきなり「沖縄に逝かないか」とさそわれるような、よくある類でしょうね。

もともと、野間自体がそうであるように、しばき隊の初期メンバーのコアは原発で官邸前抗議に参加していた人だった。
 そこから反レイシズムに一部のリソースを引き連れ、さらに今度は国会前に・・・というのが、おそらく「3・11の衝撃から生じた新たな大衆運動」(笠井潔)の道筋になるのだろう。

3・11の衝撃から生じた新たな大衆運動は、みずから街頭で学び、次々と敷居を越えながら飛躍的に成長してきた(by田口圭 官庁によると、【首都圏反原発連合】は過激派の排除や、日本共産党以外の左翼団体の制御を重視していたとのこと。たとえばフリーター労組などは官邸前で【首都圏反原発連合】に制御されたはず)。
 新たな運動の先導的部隊ダイレクトアクションの戦闘性という点でも、衰弱し無力化した新左翼セクトを実践的に凌駕している。



3・11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ

この笠井潔による論考は、ある意味では当たっているようにみえるが、自分には違和感の方が大きい。外からの見え方と内部にいたものby田口圭 内部にいた清義明”氏”の証言は「貴重」かと)の見え方の違いだろう。
あとは、笠井にある脈々とした革命ロマンチシズム故に美化してしまっていることが鼻についてならないのだ。

笠井が言いたいことはおおよそこんなことだ。

3.11以後の社会運動というものは新しい。ポストモダンの時代に忌避されてきたマジメな政治運動を、デフレ不況時代の今に再構築しようとしている。それは新左翼とも切断されている。新しい社会運動は、「真理を独占し階級を善導する前衛党というグロテスクな観念が打ち砕かれ」た先に出てくるものであり、それがクラックやSEALDsだということだ

この認識は、先に書いた「国会前の敗北主義」とアウトラインは同じものである。そのうえで、その内部にいた身からいわせると、感想はこうならざるをえない。買いかぶりすぎby田口圭 換言すると「高く評価しすぎ」)である。

正義の行使を自警主義的に行うことを、自分はダーティー・ハリー症候群と呼んできたが、それを左派の用語でいえばすなわち「前衛主義by田口圭 左翼活動家自身が大衆を指導するという。左翼活動家の自己正当化=前衛主義)」である。社会変革はその理論をわかって行動する人達、すなわち「前衛」によって導かれるべきである、これが前衛主義のことだ
 もう説明は繰り返さなくてもいいだろうが、情勢認識を付け加えると、笠井がいう「先導的なダイレクトアクション」は70年代の新左翼セクトと同じく世論は離れつつある。

 ただ、ひとこと書いておくと、SEALDsについては自分はほとんど何も実態は知らない。ただし、彼ら(by田口圭 SEALDsの面々のこと)は「しばき隊」の功罪をよく理解したうえで、あの運動を巻き起こしたとは言えるだろう。
注釈by田口圭 SEALDsて結局、代表奥田の一橋大学修士への進学で終わっていませんか?
よって、彼らは、しばき隊的なものからのアンチとして出てきたという側面もある。そういう意味で、彼らは若い人たちだからできる態度を示したといえるだろう。すなわち失敗から学んだのである(by田口圭 要は野間易通が「失敗をした」と清義明氏は勇気を出して指摘する)。

SEALDsが、官邸前反原発→反レイシズム→国会前安全保障問題(by田口圭 各弁護士会が反対していた特定秘密保護法案のことですかな?)という流れに影響を受けて、ある程度パラレルに進んできたということは間違いがない。
そのうえで、クラック(および反レイシズム急進派)とは別の歩みをしているというところだけは確かなところだろう。(by田口圭 急進派というより、C.R.A.C.は過激派では?

SEALDsは、表層的なファッション性などの部分に影響を受けながらも、クラックとは自立したスタンスでいる。彼らの「怒りのマーケティング」は、かなり洗練されてきているし、おそらく、反レイシズム運動の反省点は、かなり活かしたのではないか。(by田口圭 この文章は、まだSEALDsさんが「組織として」存命中の時期の記事じゃないかな

ただクラック界隈の人達が、今度は勝手連的にSEALDsを自警主義で取り囲んでいるのは、これまた問題でもある。(by田口圭 要は、SEALDsが、しばき隊の子会社に見えてしまう


国会前の「狂信者」清義明よくいった by田口圭)と前衛主義

わたしはSEALDsの若い皆さんに尊敬の念をもつ。「しばき隊」的なものを乗り越えて、新しい運動スタイルを編み出したことも高く評価する。だが、そのクレーバーな方法論と行動力とは別に、その政治的な主張は私個人とは必ずしも一致していない清義明よくいった by田口圭)。
そのために、実際のところ彼らには残念ながら「興味がない」ということになる。

だが、その「興味がない」ということに対して、左派に乗り入れてしまった、かつての仲間であったレイシズム急進派界隈から罵声が飛んでくる(清義明よくいった by田口圭)。
人間の思想というものはそれぞれ一致することはなく、その最大公約数でのみ世の中は動いていくということが彼らにはわからないのだろうか(清義明よくいった by田口圭)。
左派の用語でいえば「党派性」である。
残念ながら、ここにしばき隊にあったシングルイシューの社会運動おおらかさは失われている(最初から野間易通”氏”には「おおらかさ(寛容さ)」は本当に存在したのでしょうか? by田口圭)。

民主党の右派サイドの議員(by田口圭 親米派長島昭久」議員のことでしょうか?)の演説におしかけて「レイシスト」呼ばわりする。
彼はもともと民主党でも反差別のスタンスをとっていた人物だ。

とある映画評論家には、意見を言うだけの「サブカル」だとレッテルを貼って、ネット上で攻撃する。だが、その評論家は、アフリカの民族差別を扱った有名な映画を日本で上映しようと活動していた人物で、しかも出自は在日コリアンである。

田口圭がTwitterを挿入

RRD/国際的ペロリストグループ赤い猫団 on Twitter: "ヘイトスピーチと戦う野間さんが映画評論家の町山さんをサブカルだからダメだと言い出したんですよ RT @katsudobenshi: 色んな人が突然サブカルサブカル言い出したけど、日本でなにかサブカッてるのですか?"

 

RRD/国際的ペロリストグループ赤い猫団 on Twitter: "ヘイトスピーチと戦う野間さんが映画評論家の町山さんをサブカルだからダメだと言い出したんですよ RT @katsudobenshi: 色んな人が突然サブカルサブカル言い出したけど、日本でなにかサブカッてるのですか?"

田口圭がTwitterを挿入

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『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない! この人を見よ! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

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反差別のスタンスを明確にするジャーナリストに国家前での反安保デモの総括が必要なのではないか(by田口圭 まぁ失敗したんだから「総括は必要」という意見が「左派」から出てきても自然では?と清義明”氏”に同意)というような意味を書かれただけで、いっせいにネットで攻撃する。
私達は負けていない、だから総括は必要ではない、と(by田口圭 いや法案を阻止できなかった時点で…敗北でしょう)。

・自分たちが関わる反差別パレードに機材を提供してくれている会社の社主に、多少誤解のある「しばき隊」批判をされただけで、もうあそこは使わない、と。(by田口圭 西武セゾングループの総裁 堤清二さんですかね 2013年(平成25年)11月25日物故

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堤清二(辻井喬・・マスコミ9条の会、さよなら原発1000万人署名呼びかけ人)の死を悼む - 習志野湾岸9条の会

 

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堤清二(辻井喬・・マスコミ9条の会、さよなら原発1000万人署名呼びかけ人)の死を悼む - 習志野湾岸9条の会

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この類の話にキリはない。

今もSEALDsの若い人達を守るという自警主義をふりかざして、ケツ持ち風情by田口圭 清義明”氏”よくいった)でまわりにケンカを売ってまわり、彼らのやることに傷をつけているのである。

エリック・ホッファーは書いている。

リンク先を見る
どんな政治運動でも最初の段階ではアタマのおかしい狂信者がいて、それが突破口になる。だが狂信者は憎悪がエネルギーなため、実際的な活動家がその主導権を握って運動を更新しないと不幸な結末に帰着する。狂信者は決して目的を達成することが出来ない、と。(by田口圭 これは出現しては消える保守系愛国系運動にもいえること。1995年から自民党選挙を手伝っていて、保守系愛国系運動を24年間観ていて感じること。子供時代も含めるともっと長く30年以上、観察して痛感する。)

もともと穏健な運動をしていた「知識人」は故に、この「狂信者」に追放されることになる、とも書いている。(by田口圭 在日特権を許さない会も八木氏以外の知識層は、自発的に抜けていった気がします。

クラック界隈の反レイシズム急進派は、こうして味方になるべき「知識人」を次々と敵にまわしている。これで何かを成就できると思っている前衛主義だからだ。(by田口圭 注釈 いや野間易通”氏”のプライドが高いだけでは?

味方にしておくべき存在を、その「前衛」的な考えから敵にまわすのも頻発している(by田口圭 野間易通氏の運動が「行き詰まる原因」を清義明氏は的確に表現)。
サブカル」「オタク」「ポストモダン」「ヘサヨ」と相当に恣意的なラベリングで、自分たちの方法論に意見をするものを「敵」とするのは、しばき隊からの悪癖だ(by田口圭 注釈 ヘサヨとは野間易通”氏”が「ヘイトスピーチを許さない市民の会」を揶揄して用いた蔑称)。

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ヘイトスピーチに反対する会による反差別カウンターへの言及 - Togetter

togetter.com

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清義明”氏”の記事に戻る
こうやって次々と敵をつくり孤立していく。反レイシズム運動に賛同するものたちは、別にしばき隊やクラックや野間フォロワーだけではない。むしろ、直接的に批判はしなくとも、ひとつひとつ是々非々としたり、距離を置いている人のほうが多いだろう



組織維持のために、敵をつくっていくというのはよくある話だ。これは野間個人のキャラクターに負う部分もあるだろう(by田口圭 清義明よくいった)。
だから、自分は必ずしもこの本人に対して突き詰めて批判するつもりにはなれない。むしろ、無批判にこれをマネてしまう「ダーティー・ハリー症候群」の患者に対して強く言いたいのだ(by田口圭 清義明よくいった)。トリックスターは社会に波紋を呼ぶことができるが、これを本当に変えることはできないのだ、と(by田口圭 清義明よくいった)。

おそらく、野間本人は最初からトリックスターでいるつもりであったろう。しばき隊の「成功」がその目論見を狂わせた。色気が出た、と言い直しても良いだろう。そうして現在、混乱する運動の自己肯定の中で、次々と「しばき隊」の駄作の続編がつくられているというところだろう。(by田口圭 田口圭の過去日記にもあるように、野間易通”氏”は反ヘイトスピーチ運動を「出世の道具」に活用しようと考えていたように当方は推察しますが

そして、駄作なりにフォロワー(要は、しばき隊「後継団体」C.R.A.C.構成員を清義明は指していると思うby田口圭)は影響を受け続け、そしてダーティー・ハリーのモノマネが流行しているというところだ。

私はそんなつまらない映画も細かすぎて伝わらないモノマネも観たくないわけである。

追記:

リンク先を見る クリント・イーストウッドは、21世紀になってから、まるで『ダーティー・ハリー』や彼が名を挙げたウエスタン映画を、あたかも総括するかのような映画を発表した。それが『グラン・トリノ』である。

グラン・トリノ』は、やはり「正義」を巡る物語だった。そして、正義は自己犠牲とその滅びと引き換えにして初めて行使できるものだということを映画は語った。
そうでなければ、それは単なるエゴなのだから(by田口圭 清義明よくいった)。
ダーティー・ハリーとクリント・イーストウッドの本来の潔癖さはここにある。



引用終了

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田口圭

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