■フランス独身男性が養子を迎えるワケ3 養父4人へインタビュー■

http://www.madameriri.com/2011/04/17/%e7%8b%ac%e8%ba%ab/

おしめを換え、かわいいわが子を乗せたベビーカーで散歩し、せっせとミルクをあげる父親…というのは少し意外な気がするかもしれない。女性よりも男性の方が子育てに向いていると考える人も少ないだろう。しかしフランスでは、少数ではあるが母親なしで養子を迎える独身男性がいる。彼らの多くは同性愛者だと誤解されたり、世間の偏見に立ち向かいながら子育てをしているそうだ。

もちろん、独身男性による養子の受け入れというのは、独身女性と同様、法の下で認められている。しかし、そうは言っても、養親になる手続き的な障害を乗り越えられる男性というのはごく一握りのようだ。2001年~2002年に国立人口問題研究所が10機関で実施した1857にもなるアンケートや関連書類によると、養親候補者のうちたった5人の男性(全体の0.3%)が手続きを完了することができたとされる。今年に限っては、認可の下りた独身男性はゼロだそうだ。養親候補者のうち、独身者は全体の10.6%であり、そのうち養子縁組が成立する候補者はたったの6.8%である。

独身者による養子縁組評議会の創設者であるフランソワーズ・フロチは指摘します。

「夫婦による養子縁組よりも、独身者による養子縁組の方が難しい。つまり、独身者はハンディキャップを課せられているわけです。困難を乗り越えるのはますます難しくなります。」

結婚していないことを理由に養子縁組成立を断ることはできないと法で定められているが、それでも男性は社会や仕事などの影響を受けやすく、子育てに向かないと判断されてしますケースが大半のようだ。

確かに、独身男性が養子を引き取るというのは少し不思議な気がする。母性がある女性が“母親になりたい”と考え、独身でも養親になるというのは理解できる話であるが、男性の場合はとても珍しく、偏見を持たれてしまっても無理のない話であろう。

そもそも男性が“父親になりたい”と思うのはどういった視点からくるものなのか。父性とは何か。どういったことがきっかけで、養子を引き取ろうと思ったのであろうか。

養子を迎えた4人の独身男性にインタビューを行った。

http://www.madameriri.com/2011/04/18/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e7%8b%ac%e8%ba%ab%e7%94%b7%e6%80%a7%e3%81%8c%e9%a4%8a%e5%ad%90%e3%82%92%e8%bf%8e%e3%81%88%e3%82%8b%e3%83%af%e3%82%b1%ef%bc%92%e3%80%80%e9%a4%8a%e7%88%b6%ef%bc%94/

<パトリック、43歳、IT企業勤務管理職 ~2003年6月より5歳の女の子をハイチから養子にもらう>

養子をとりたいという私の願望は、私がまだ16歳だったころに遡ります。私の母は養子に出されることのできない子どもたちの孤児院で働いていました。小さなころから、そこの子どもたちとクリスマスを過ごしていました。私が帰ろうとすると、園の子どもたちがみんな寄ってきて甘えてくるんです。やるせない気持ちになりました。

それから随分経ち、結婚して、離婚して、血のつながったわが子を前妻と交代で養育するようになりました。養子をとりたいという願望はそうした中で生まれたのです。私の場合は、独身男性にしては運よくたったの9か月で認可を得ることができました。

私はさっそく養子縁組を請願するためハイチへ出発しました。孤児院へ直接出向き、そこで赤ちゃんと2歳の女の子を連れた母親に出会いました。私は幼児を望んでいたので、2歳の女の子にくぎ付けでした。その時、彼女たちが母親を失う瞬間も目の当たりにして、彼女たちの痛みが私にも伝わってきました。私は自分を彼女たちと同一視し、彼女たちを引き取りたいと心から思いました。

2003年から、ソフィアは法律上私の娘になりました。私たちをつなぐ絆は、血のつながりと同じくらい強くなりました。私のこれまでの働きかけが、たとえ世間の人を驚かすようなことでも、私は自分を頭のおかしいバカだとは思っていません。単純に、“他”を受け入れられる父親なんですよ。私がすでに息子(前妻との間の子)にとって、父親だったのと同じことです。違いといえば、娘の時はこのシチュエーションを選んだのが私であり、準備する時間があったことぐらいですかね。

娘が寂しそうにしていなくても、ありがたいことに、よその人が絶え間なく彼女に思い出させてくれるわけです。彼女には毎日そばにいてくれる母親がいないってことを。

ある日、熱意に満ちた孤児院の指導員が娘のところにやってきました。彼女は娘に、孤児であるひよこが母親を探すというストーリーの本をプレゼントしました。ひよこは母を見つけるため、いろいろな動物に尋ねます。するとある日、ワニの赤ちゃんやカバ、キリンの子どもを育てるクマのお母さんに出会います。クマのお母さんは言いました。

「私はこれからあなたをうんとかわいがるからね。あなたは私の子どもなのよ。」

とても美しい童話ですが、このストーリーでは“母親”のことしか語られていないんです。だから私は娘とそのお話をもう一度読んで聞かせました。

「いいか、クマのお母さんはパパのことなんだよ。君のママはパパなんだよ。」と。


<フランク、39歳、国民教育機関管理者 ~2004年、7歳と10歳の息子をウクライナから引き取る>

奇妙だと思われてしまうかもしれないですが、僕は実の子どもがほしいと思ったことがないんです。たとえ一生に一度の女性に出会っていたとしても、僕は養子を望んでいただろうと思います。僕には1人で子どもを育てられるという自信がありました。僕はなかなか認可の下りない兄弟姉妹を迎えることを望んでいましたが、その養子縁組を成立させる過程で迷ったことは一度もありません。

2004年2月、僕はウクライナへロマンとダヴィンを迎えに行きました。そしてそれ以降、私は全速力で生きているような気がします。僕が昔、夫婦だったころはお互いに仕事を分担すれば良かったのですが、今は全てが私の仕事となるわけです。母親役と父親役を交互に務め、時には甘やかし、時には威厳をもって接することができなくてはなりません。また同時に、社会によって限定されたこれらの役割が偏見を生むのではないかと思います。

だから子どもたちと釣り合いをとるためには女性の役割となる人を見つけることが重要だと僕は思うのです。私はまだ見つけられていませんが、孤児院の子どもたちを支援する団体のおかげで、ロマンとダウィンをフランスへ迎え入れることができましたし、ヴァカンスにはカップルのところや独身女性の所へ行かせています。彼らはとても強い絆で結ばれており、この2人の女性は今では子どもたちの毎日の生活に欠かせない存在となっています。子どもたちはよく彼女たちのところで数日過ごしたりもしますが、僕はこれが僕らの関係を良くするものだと信じています。だからこそ、僕と子どもが依存しすぎることがない関係を保てるのではないかと思います。子どもたちを引き取って最初の頃は、2人をどこにも連れて行くことができませんでした。また捨てられてしまうのではないかという、胸を締め付けられるような不安が、子どもたちにはまだ強かったからです。

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<ピエール、39歳、行政官 〜2004年8月、ウクライナから4歳の男の子をひきとる>

時が流れるにつれ、父親になりたいという私の願いは強くなり、願望は必要性へと変化しました。そうしたなかで養子縁組を検討するようになったのですが、わからないことだらけでした。

−一体私にできるのか?

−私の本当のモチベーションは何なのか?

養子縁組の計画を5年間胸の中であたため続け、あれこれ悩んだ結果、既成概念外にある家庭であっても幸せに生活することができるという結論に至りました。一度結論を出すと、その後は全く気に病むことなく養子を迎える準備を着々と進めていきました。しかし、最も複雑で大変だったのは“男”で、“独身”という2つのハンディを受け入れてくれる国を探すことでした。

私は2003年7月、ウクライナの孤児院へ向かいました。そこの中庭のベンチにいると、乳母がボリスを迎えにやってきました。ブロンド髪のボリスは複雑な笑みを浮かべていました。私は手に持っていたミニカーを彼に差し出しました。彼はそれを受け取ると、私と一緒に遊ぼうと膝をよじ登ってきました。

ひとめぼれでした。その時、相互愛を感じたのです。私は自分に言いました。「彼だ、彼が私の息子だ」と。

彼はすぐに私をパパと呼んでくれるようになり、その夜、私はホテルで一人“パパ”という言葉の持つ力を噛みしめました。

その後1年8か月まって、私は晴れて彼のパパになりました。その日は一晩中眠れませんでした。

私は父親と母親の役目をいっぺんに引き受けたのです。これは仕事が2倍になったというよりはむしろ、半分になったと言うべきではないかと私は思います。というのも、ボリスが家庭の中で女性の役割をしようとしてくれるからです。

きょねんは、母の日が近づくととても不安になりました。ブリスが学校で工作した母へのプレゼントを誰に渡すのかと、気をもみました。彼に“喜ばせたい人”は誰かと尋ねると、おばあちゃんを指名しました。

私たちは普通の家族ではないのかもしれないけれど、それぞれが自分の居場所・役割を見出し、とても幸せに生活しています。

<ニコラ、40歳、歯科医 〜ヴェトナムから1歳の男児を迎える予定>

私は愛する息子を待ちきれずにいます。ヴィンは今のところまだ、ヴェトナムの孤児院にいます。養父になるのが実現するには何年もかかるのです。

私が養子を迎えたいと思ったのは、周りで赤ちゃんが生まれた人がいたことがきっかけでした。そのことが私の中に欠けていたもの、とりわけ自分の一部を“受け継がせる”という欲求が開花したように思います。

2004年、私は養父へ向けた最初の一歩を踏み出しましたが、その道がどんなに過酷なものかすぐにわかりました。認可が下りるのに12か月かかり、私は子育てには“不安定”なタイプであることを何度も思い知らされました。

手続きの過程で、ある社会福祉アシスタントには「40歳の独身男性が!…普通じゃない!」と言われ、精神科医の先生によるチェックは「あなたが母親か姉妹と寝たかどうかということは聞きませんので…」という前置きから始まりました。

いくら私の養子を受け入れる決意が固くても、こうしたプロセスは本当に長い時間を要したのです。その後ようやく、私が望んでいた1〜7歳児の子どもをひきとる認可が下り、養子申請のため、中国の国際医師へ連絡を取りました。

電話口の女性に「ご夫婦のお名前は?」と聞かれ、「私一人です」と答えると、沈黙が続いて気まずい雰囲気になりました。結局、中国政府は独身者による養親を許可していないことを理由に、私は断られてしまいました。中国では親のいない子ども全体のうち養子に出されることができるのはたったの8%のみだと、私は反論しましたが、電話口の女性は国際医師行政団体の指示というので、私は引き下がるしかありませんでした。

このような団体が今でも活動を続けていると思うと、何てけしからぬことだと思います。今日では、養子引受け許可証を持つ多くの独身男性が、プロフィールが合わないという理由で道の先に立たされ、とどまっています。