しばき隊はなぜ失敗したのか?

 金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変えるという書籍の著者の野間易通なる人物が「しばき隊」なる運動を最近になって開始しているとのこと。
 Amazonのレビューを見る限り、デモ参加者の数を過大に(20万人)表現したりしているようで、マイナス評価も多い。しかしながら、ドイツで反原発運動が拡大して、ドイツ国内の原子力発電所が全部停止に至ったという実績もありながら、事故当事者国の日本で原子力発電所が未だに稼働している現状は、やはり異常であるといわざるを得ないだろう。
 東京電力は、「悪いのは電力会社ではなく津波です」と主張するが、普段からのメンテナンスに関して、瑕疵があった以上、業務上の管理責任を問われるのは仕方がないだろう。
 東京電力原発トラブル隠し事件
内部告発 [編集]
2000年7月、ゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEI)から東京電力福島第一原子力発電所福島第二原子力発電所柏崎刈羽原子力発電所の3発電所計13基の点検作業を行ったアメリカ人技術者が通商産業省(現経済産業省)に以下の内容の告発文書を実名で送った[1]。
一、原子炉内のシュラウドにひび割れ六つと報告したが自主点検記録が改竄され三つとなっていた
二、原子炉内に忘れてあったレンチが炉心隔壁の交換時に出てきた
(以上、引用)
 私は個人的には、福島をはじめとする原子力発電所は停止するのが望ましいと考えている。しかしながら福島の有権者はどう考えているであろうか。

衆院選福島選挙区の選挙結果を見る。

1区
亀岡偉民(自民)121,235
石原洋三郎(未来)50,141
 大場秀樹(民主)44,599
渡部チイ子(共産)21,896

2区
根本匠(自民)98,913
緑川一徳(維新)27,613
太田和美(未来)26,821
斎藤康雄(民主)26,208
平 善彦(共産)10,194

3区
玄葉光一郎(民主)107,737
菅野佐智子(自民)48,796
小山田友枝(共産)16,3813

4区
菅家一郎(自民)71,751
小熊慎司(維新)50,036
小川右善(社民)15,718
原田俊弘(共産) 8,903

5区
坂本剛二(自民)61,440
吉田 泉(民主)54,497
宇佐美登(維新)26,299
吉田英策(共産)16,479
菅本和雄(みんな)10,177
松本喜一(未来)6,937

 上記のとおり、自民党圧勝である。ちなみに民主党で唯一当選している玄葉光一郎は「原発事故があったからこそ、日本の原発は、安全性を高めれば、かえって信頼される」などと、原発輸出推進の発言を繰り返した人物である。
 要は、原発推進派であることが福島選挙区での当選条件となっているようである。

 さて、そもそも福島第一原発はどのような経緯で建設されたのであろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
  常磐石炭産業の衰退 [編集]

1950年代末期の福島県浜通りは高度経済成長の波に乗り遅れ、中通り会津地方を含めた福島県全域の産業近代化率も全国平均の270%と比較して126%と低位であった。このため、福島県庁は産業誘致のため電源開発に努力していたが、エネルギー革命によって、茨城県助川から浜通り夜ノ森以南にかけて広がる石炭産業と、浜通り夜ノ森以北の林業[注 2]が衰えて来たため、新たなエネルギー源を模索していた[10]。

今井孝三のルポによれば、助川〜夜ノ森では、最盛期の1961年には42の炭鉱で248万tの生産高を記録している。しかし、1969年には3炭鉱で215万トンにとどまり、事実上常磐炭鉱磐城鉱業所の管轄する2坑口からの生産がその内訳の大半を占める状態となり、中小炭鉱はほぼ消滅した状態であった。常磐炭の需要確保のため、すでに常磐共同火力発電所が設立され、1971年当時で72万kwの出力で操業をしていたが、将来的には石炭関連産業だけでやっていくことには限界があると考えられていた[12]。

福島県庁の調査・誘致活動 [編集]

この間、福島県庁は東電とは別に独自に原子力発電事業の可能性について調査を実施していた。松坂清作によると県庁が調査研究を始めたのは1958年である[15]。1958年当時の福島県知事は佐藤善一郎(中通り福島市出身)であり、後に福島県知事に転身する木村守江(浜通りの四倉出身)は当時国会議員であったが、浜通りの夜ノ森周辺の自治体より産業誘致の相談を受け、東京電力社長の木川田一隆(中通りの梁川出身)に話してみたところ、「原子力発電所が好いのではないか」との回答を得た。しかし、木村が誘致の姿勢を示すと木川田は曖昧な態度を取り、1961年になって木川田の側から用地についての取りまとめを依頼してきたという[16]。

福島県史 第18巻』によると外房の沿岸は砂丘地帯が連なり強固な地盤が無かった。このため、立地の適地は関東沿岸を北上し、「東海村近く」の「茨城県北部より宮城県南部の当福島県海岸は、非常に好適地」と見なしている[18]。県庁が実施した調査の結果からは、県内の海岸地帯が(1)小名浜周辺、波立海岸周辺、松川浦周辺を除いて単調、(2)人口希薄、(3)30m程度の断崖になっていた、の3点から適地であると判断し、旧標葉郡の3か所を選定した[10]。

この調査結果は1959年の某日東電の常務会でも田中直治郎より報告され、木川田は買収を前提にお忍びで現地の視察を命じた[19]。また『福島県史 第18巻』によると、浜通りは送電線の建設コストでも北東北の適地よりは有利であった[注 8]。

また、福島県庁は当初東北電力にも打診したが、当時は奥只見水力発電所の開発が終了したばかりで供給力は過剰気味であったため、乗り気ではなかったという[20]。県庁が提示した調査結果ではいくつか不足の点があったため、東京電力は追加調査を県に依頼した[21]。これを受け1961年に発足したばかりの県開発公社では工業用水調査、航空撮影調査、地質調査などを実施した[22]。1963年には大熊町原子力発電所を建設する意向が内定した。
(以上、引用)

 というわけで記事を読む限り、ほかに産業のない地域が、原子力発電所を誘致したというのが実情であるようだ。しかもほかの電力会社(東北電力)に断られているという経緯もある。
 いずれにせよ、「東京が福島に原発を押し付けた」というのは間違いであり「福島が原発を誘致した」というのが実情である。その目的が「雇用」であれ「助成金」であれ。
 その実情が如実にでたのが「原発推進派」しか当選しない衆議院福島小選挙区の結果である。もし、福島県原発反対派が多いのであれば、「未来の党」あたりが議席を得ていたのではないか?

 現在、発電技術の最先端は、ガスタービン発電であり、原子力発電よりも低コストで発電できることから、民間の工場では電力会社と契約せず、ガスで発電するのが主流になっている。米国のシェールガス革命もあり、原子力発電は今後は下火になっていくだろう。

 さて、福島では、原発再稼働を求める住民デモすら起きている。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=5179

 また、反原発活動家は「福島は汚染されている」と主張していたが、福島の農家は「風評被害だ」と反論する。
東日本大震災:福島第1原発事故 県と東電、風評被害の賠償説明 大河原で初開催、農家から意見続出 /宮城

 個人的な見解をいえば、放射線汚染の被害が出るか否かは(チェルノブイリの例を見てもわかるように)5年後にならないとわからないわけなので、ソ連邦がやったように強制移住というのが正しい。で、被害がないと確認された時点で、戻すというのがただしいと思う。山本太郎氏が、福島などの子供を北海道に疎開させるプロジェクトをやっていたが、それもいいと思う。
 http://infosecurity.jp/archives/10467
 しかしながら、こうした疎開運動すらも、福島県に住み続ける当事者にとっては「風評被害」を広げるものに過ぎず、不愉快に映るのだろう。
 結局のところ、野間氏らが主催する「首都圏反原発連合」が、ある程度の規模にはなったものの、広がりを喪失している原因は、当事者性の欠如であるということが言える。すなわち、反原発運動の主体が当事者である福島県民でないかぎり、成功は難しいだろう。
 たとえば、水俣病イタイイタイ病の公害救済運動は、運動主体がその地域の住民であった。つまり当事者主体の運動であるからこそ成功したのであり、もし当事者不在の運動であれば成功していなかったであろう。それと同じことが反原発運動にも言えるはずだ。

 さて、資本主義社会では「思想」や「運動」というのも商品として流通する。野間氏はフリーの編集者ということなので、その点も理解しているだろう。上記の「反原発運動」では書籍を刊行することにも成功している。それ自体は何も問題があることではない。むしろ書籍を刊行できたことは一定の成功のはずだ。
 安田浩一氏が『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』なる書籍を刊行して成功したのちに、野間氏が反原発運動の次に目をつけたのが「在特会」である。
 つまり、「在特会」を含む排外主義を攻撃する団体として「しばき隊」を結成し、運動にしていこうとするものだ。いずれ、野間氏が安田氏のように、在特会問題で著作を書けるのか、メディアにもっと出れるように成功するのかわからないが、安田氏が扱ったテーマと重複するのは事実。ただ、その手法が、デモ終了後の参加者を取り囲んで罵声を浴びせるというもので、安田氏と手法が異なる。
 もちろん、この新大久保を巡る騒動を取り上げている李信恵なるライターも言論を商品として扱う側の人間である。つまり騒動が拡大すればするほど仕事が増える人たちである。また、この騒動に乗じて"stand against racism"なる英語表記の旗を2500円で売り出す者も出現している。(日本人や在日韓国朝鮮人にアピールするのであれば、日本語表記やハングル語表記が望ましいと思われるが、販売者はデザイン性を重視してか英語表記である)
 さて、彼ら「しばき隊」の動画を、在日韓国人在日朝鮮人(主に3世)の知人らに見せてみる。彼らが「中指を立て」たり「日の丸にバツ印をつけ」ている動画である。(私や彼らには、プラカード隊としばき隊の区別がつかないので、混同している場合もあるかもしれないが)
 彼ら在日外国人の反応は「ああ、こういうことやっちゃうと日本人は怒りますよね」とか「これ、もしかして在日がやってると誤解されちゃいませんかね」といったもの。
 また、桜井誠氏が主張する内容についても、彼ら在日外国人は「そりゃミサイル撃つって言われているんだから日本人だって嫌でしょ」とか「自発的に売春していた売春婦を被害者にして賠償せよって言われたら、日本人も怒るでしょ」とか「朝鮮が戦争するって言ってるんだから、そもそも無償化なんか無理でしょう」いった具合。
 かつて在日韓国人が「参政権要求デモ」をやったときには約3000人がデモ行進したという(ちなみに「朝鮮総連」は参政権に反対)。
 また在日朝鮮人が「朝鮮学校無償化デモ」をやったときにも約3000人がデモ行進したという。
 桜井誠氏の新大久保デモは朝鮮民主主義人民共和国(通称北朝鮮)に対しても大韓民國に対しても、両方共に攻撃しているわけだから、上記の過去の実績からいって合計6000人程度が「しばき隊」運動に参加して新大久保に集結していなければならないはずのところ、実際のところは、わずか20名程度しか参加していないというのが実情である。
 しかも、その20名程度の参加者についても、当事者であるはずの在日外国人の参加者はごくわずかで、ほとんどが野間氏をはじめとする日本人であるという。したがって、上記の反原発運動が当事者性を欠いているように、野間氏らの「しばき隊」運動も当事者性を欠いており、過去の公害運動のような発展性は期待できないだろう。

 むしろ「福島県は汚染地域である」と強調する反原発運動が「風評被害」として福島県民から嫌悪されているように、「レイシストは帰れ」と中指を立てているのが在日朝鮮韓国人であると誤解されることが在日韓国朝鮮人から嫌悪されているというのが実情である。
 むしろ排外デモ主催者(在特会など)側からすると、「粗暴な在日役」を演じてくれている「しばき隊」は、むしろ好都合であり、「在日勢力と戦う在特会」を印象づけるためのアイテムとなっている。

 国会議員というのは「実績作り」のために「法案を提出した」がる傾向があるのはよく知られている。まだ当選1回の有田芳生議員が「ヘイトスピーチ規制法案」などを提唱して実績を作ろうとする動きがあるようだが、この集会に参加した元在日韓国人の朴順梨氏ですら「それに「在日が日本の法にまで介入した」という言説が生まれ、ますます怨嗟がつのる可能性だってある。」と危惧を指摘する。

 要は、在日韓国朝鮮人をマイノリティ(弱者)として商品化しようとしているとの印象を当事者に、持たれてしまっても仕方がないのではないだろうか。(しばき隊における外国人の参加比率を見る限り)

 私が知る限り、多くの在日韓国朝鮮人は、「北朝鮮がミサイルで日本を威嚇するのはおかしい」とか「参政権まで要求するのはやりすぎ」と言っており、また「韓国の反日デモが過激である以上、日本人も同様に反応するのは仕方がない」と冷静な目で見ている。むしろ「しばき隊」のような(彼らが言うには)日本人が当事者でもないのに、過激な行動をして、在日韓国朝鮮人の評判を落としていることに、彼ら在日韓国朝鮮人は不快感を感じている。(プラカード「なかよくしようぜ」には彼らは多少好意的という違いが見られた)

 
 むしろ移民受け入れは、財界・自民党主導で行われており、下村博文の留学生30万人受入計画などが典型例である。

 
 コラム: 石原慎太郎 「新しい移民法を」   2008年03月20日 産経
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080320/trd0803200354002-n1.htm
そうした民族交流の文明原理を踏まえれば、日本が新しい移民法によってアジアの近隣諸国に大きく門戸を開くことでアジアの発展成熟に拍車をかけることになるにも違いない。著しい人口減少によってさまざまな問題を抱える日本の国家社会にとって、かつての民族的ルーツであった国々から、新たな同胞を迎え入れることで我々が失うものはありはしまい。それに比べて、現行のかたくなな閉鎖主義を維持することで、我々が現に何を失いつつあるかを考えなおしたらいい。
 

 
 いわゆる左派勢力がレイシストと批判する石原慎太郎が、移民受入推進派だったり、この問題は右派左派で単純に割り切れる問題ではない。韓国人ノービザ化を実現してしまったのは小泉内閣である。
 ただ、安易な移民受入やノービザ化が、新しい問題を生んでいることを考えると、私は移民受入に反対したい。 じゃあ「少子化に対する対案を示せ」と財界から言われるかもしれないが、雑誌ジャパニズム8号に対案として記事を書いているので、興味のある方は参考にしてほしい。