陸上自衛隊のとある駐屯地に、このような言葉が貼ってありました。
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男の修行
苦しいこともあるだろう。
言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である。
山本五十六(元帥海軍大将)
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上記の言葉は、私が大いに感銘した言葉です。
陸上自衛隊の某駐屯地で、はじめて、この言葉に遭遇しました。
また、陸上自衛隊に、陸軍軍人ではなく、海軍軍人の言葉が貼ってあったのは興味深いものです。
たしかに、組織を生きていく上では、「環境」に対して馴れるということが要求されるわけで、戦前の軍隊を特徴付けるものだと思います。
たしかに、陸上自衛隊の幹部が言っていたのですが「我々自衛官は、悪い環境に慣れるのも教育のうちと思っているので、設備などの不満などを言うという発想がなくなってきている」と。
で、「一般のひとに、そういうのを見つけてもらいたいという趣旨の発言だった」と思う。
少し興味深い現象だと思った。たとえば、何か問題や不都合があったとき、上記のような考えだと、兵隊(構成員)が悪いということになり、設備(組織)は悪くないということになり、組織としては責任を免れることになる。
たとえば、戦前でいえば、「行軍が辛い」→兵士の精神力が足りない であり、「トラックが用意できない」という組織の側の改善策には至らない。
米軍の場合は、環境主義なので、環境を変えることにより、決定的な違いが出ると考える。
そういった「刷新」や「制度設計」というのは、「環境」に原因があると考える発想でないと、発生しない。
しかし、個人に原因があると考える人は、自分自身の責任であると考えるので、もっと努力をするようになる。
したがって、組織の中で出世するのは「個人に責任がある」と考える人であり、そういう発想の人が組織の中で管理職や役員となる傾向がある。
しかしながら、組織の制度設計を行う側は「環境」に原因があることを見つけていかないといけない側なので、そういう点で矛盾が生じているとも思う。
たとえば、「職場」にゴミが散乱している。という現象があったとして
・個人に責任を求める人→ごみをゴミ箱に入れない個人が悪い(精神論)
・環境に原因を求める人→ごみを投函しやすいようにゴミ箱の数を増やそう(環境論)
したがって、個人レベルの原因と、環境レベルの原因の両方を取り除く努力をしなければ、組織力というのは改善されないと思う。
(ちなみに、上記の例でいえば、ゴミをきちんとごみ箱に入れようと啓発するポスターを貼るなど)
さて、では、自衛隊という組織全体で考えると、自衛隊という組織を外部から環境づけているのは「9条」である。
「9条」という「悪い環境」を改善しなければ、根本的な問題は解決しない。
しかし、多くの自衛官は「9条という環境に、馴れて我慢しなければいけない」と思っているのだろうと思う。
そういう視点で見ると、
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男の修行
苦しいこともあるだろう。
言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である。
山本五十六(元帥海軍大将)
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という言葉も、違った風に見える。
現在の自衛隊および防衛庁の幹部は、9条という環境をどう見ているだろうか?
「これらをじっとこらえてゆくのが・・」と思っているのだろうか?
もちろん、山本五十六(元帥海軍大将)は、戦後の日本がどのような社会になっているかなんて想像すらつかなかったでしょうが。