「保守の定義」とは何か?というテーマについて

 いわゆる保守系地方議員の後継者不足が指摘されるようになって、長い時間が発生しました。かつては、区議や市議でも、その子供さんが地盤を継承してくれたのですが、子供さんが地盤を継承してくれないという事態が発生するようになり、かなりの時間が発生しました。
 稲田朋美議員の秘書の方は秘書になると決めた際に、母親から反対されたということですが、母親(つまり彼の父)が地方議員であるがゆえに、その苦労を知っているということで、「まさか(夫のように)政治家を目指しているのではないか?」と判断され、反対されたようです。
 したがい、保守系地方議員は「後継者不足」という問題があります。仕事がハードすぎるというわりに、リターンが少ないという現実があります。
 選挙がたいへんという印象も有権者にはあるのかもしれませんが、それよりたいへんなのは当選してからであり、サラリーマン・医師・弁護士とは比べ物にならない苦労を必要とされるわりに、得られるものが少ない。そのように判断されているのが実情です。
 最近では、加藤紘一議員の息子さん(三菱地所)が地盤を継がなかったことも話題となりました。したがい、娘さんが地盤を継承してくれたので、加藤紘一さんはようやく引退できるに至ったという次第です。
 会社員という人生を歩むか、議員という人生を歩むか?は、親が政治家をやっている場合であれば、なおさら政治の実務を観るということになるので、政治家の例外的苦労を観ることになり、やはり会社員をやっていたほうがいいという結論に達するのは、仕方がないことなのかもしれません。

 さて、ここで「保守系」という単語を使いましたが、「そもそも保守とは何なのか」ということが話題になることがあります。
 そもそも戦後から、小渕内閣の頃までは、保守系の運動に従事している人というのは、戦前生まれの人も含めて、限られた人たちでした。ところが、インターネットというのが普及しはじめてから、森内閣のころからネットで何かを発信するひとが増え、一般の人たちが政治について私見を公開できるようになりました。いわゆる左派や市民団体の人以外も見解を発信できる場が発生したわけで、そのころから、「ネット保守」なるものが発生しました。

 したがって「保守」という単語を名乗る人が多数発生して、そもそもの保守の定義がわからなくなった。というわけです。もちろん、私が保守の定義について語る資格があるのかどうかは別として、やはり体験として、保守というもの(憲法改正は当たり前として)について、少しは知っているので、その範囲内では語れるのではないかと思います。

 まず米国の場合は、保守は 州権主義・pro-life・小さな政府 に該当します。したがい、これを主張しない保守系議員はいません。共和党党議拘束はありませんが、共和党で、この3点を主張しない人を見たことはありません。
 したがって、連邦主義・pro-choice・大きな政府は、左派であり、クリントン氏がそれに該当します。もちろん人気があったビル・クリントン氏もそうですし、現在のオバマ氏もそうです。しかしオバマ氏は2012年の再選の後、いきすぎており極左と判断されています。当たり前と思います。

 さて、日本の保守系で、大衆運動があるのかというと、「日本会議」が該当します。いうまでもなく、生政連→「日本を守る国民会議」→「日本会議」と発展してきた団体であり、保守系団体というのは日本には1つしか存在しません。

 さて4月29日に、安倍晋三総裁が、訪米し、米国上下両院合同会議で演説するという機会を得ました。安倍晋三氏は、いわゆる保守系のなかで賛否両論として、見解が鋭くわかれる人です。しかし、米国議会で日本国の議員が演説するという機会は、日本国はじまっていらいの機会です。
 当該、重要な出来事は、ベイナー米下院議長より3月27日に発表をされましたが、上下両院合同会議で行われるこの出来事は、戦後初というより、日本国始まって以来のことになります。
 とりわけ保守系のなかから賛否両論のあった安倍晋三総裁ですが、日本が日米同盟関係を基軸として存在し、「日米同盟関係が日本の生命線」であることを考えると、この歴史的な出来事については、普段は安倍総裁を批判している人も、「びっくりした。素晴らしい」と言い出すなど、歴史的な現象となっています。(もちろん対米自立という概念があるにせよ)

 さて、日本に1つだけ存在する保守系団体「日本会議」ですが、「日本会議」が他の諸団体とくらべて、例外的な存在であるのは、現在もパレ・ロワイヤルに事務所を構える村上正邦氏の存在であることは明白です。
 上記の日本はじまって以来の出来事にも関連しますが、米国で最も偉大な大統領の一人ロナルド・レーガン氏と、議員時代にあった人物が村上正邦氏になります。そして米国で唯一、大々的に紹介された政治家が若き村上正邦氏であり、後の中曽根内閣が戦後、もっとも良好な日米関係を築くのに、おおきく寄与しました。 

 さて保守とは何か?に戻るわけですが、保守=日本会議(日本には保守系団体が1つしかないので、当然そうなります)であり、では日本会議=生政連がどのような活動を行っていたのか?というところに戻ります。
 日本会議の有名役員である鎌田久子先生、村上正邦先生が当時にどういう活動を行っていたのか?ということです。
 実際に、その活動は、実を結び、衆議院で可決されました。しかしながら、参議院で否決されるという悲劇にあい、成立しないという事態が発生しました。そのことが原因で、自民党の中核支持団体であった「生長の家」が政治活動を辞めるという戦後保守で緊急の事態が発生するに至りました。したがい、「生長の家」が自民党に政策を指示(レクチャー)をして、自民党が履行するというシステムがなくなり、自民党に組織と政策が消滅するという事態になりました。

 その後、小沢一郎氏が主導になって、自民党が政権から降りるという事件の遠因ともなりました。(自民党の組織が消滅したので)
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 さて、日本人とはなんぞや?という話になるわけですが、保守の見解でいえば、神話がベースとなりますので、日本民族は神の子孫として存在しているということになります(当たり前ですが)。
 そして、神道とは何か?ということですが、一般的に分かる基礎的な話として、「神社」や「三種の神器」から例を基に説明します。
 御存知のとおり「参道」は「産道」です。「勾玉(まがたま)」は「胎児」です。
 したがい、明治天皇が最初にやったのは「堕胎罪」の設置であり、これが江戸幕府と明治政府の違いです。

 敗戦後、GHQがやったことは、3D政策であり、非武装化・人口削減・民主化となります。
 そのうち、非武装化民主化=現行憲法であり、人口削減=優生保護法改正(経済的事情による堕胎の合法化)になります。
 そして、そこから「日本をとりもどす」ための運動が始まりました。その中核が「生政連(いまの日本会議)」です。
 したがい「優生保護法是正」「憲法改正」が2大目標となります。

 (日本民族の伝統として「勾玉」があるので)優先度が高い「優生保護法是正」が、まず国会に上程されるに至りました。その際に、当該問題を質問するという栄誉を得たのも村上正邦先生になります。
 しかし、それが実現するに至らなかった以上、自民党は保守ではないので、付き合う必要がない。ということになりますので、「生長の家」が、自民党との関係を絶つという原因になります。この点については、賛否両論ありますが、「生長の家」の論理のほうが正しいように思います。
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 さて、平成23年に村上正邦先生をお呼びして講演を行った際に、当方が想定していた人数をはるかにこえる人数の方が集まったという事件がありました。それはテーマが、当時、自民党が取り組んでいたテーマのうち、1つである「生命尊重運動(優生保護法是正)」であったからということになります。当時、保守活動をやっていた人で、今もその希望を持っているが、という人たちが集まったわけです。

 米国では学校で、保守とはなにか、リベラルとは何か?を教えますが、日本の学校教育では、そういう課程がありません。定義が教えられていません。したがい、学校教育法上は「定義がない」ということになります。また、そういった概念に言及した法律もないので「法律上は定義がない」ということになります。

 しかし、歴史上、客観的な事実から勘案すると、2点「優生保護法是正」「憲法改正」が「保守」ということになります。

 たとえば加藤紘一さんは両方を主張していないので「保守」ではありません、しかしそれが彼の信念であれば、それはそれでしょう。
 日本国始まって以来の栄誉を得た安倍晋三総裁は、片方だけ主張しているので「半分保守」ではないか?との指摘があります。しかし、もう片方について彼がどう考えているか分かりませんので、私は判断できません。
 したがい、理論上は、両方を主張している「平沼赳夫」先生「山谷えり子」議員「有村治子」議員などが保守になります。

 したがって、自民党であるか否かという基準などではなく、自民党以外にも保守議員は存在することになります。現在、統一地方選が行われていますが、上記の2要件を満たす候補が当選することを切望します。